みずくのブログ

絵描き、ゆるゆり、紳士でいたい

高校における不必要な教科とは? 【文章の練習・暇つぶし】

高校にて学ぶ教科の中で不必要なものとは、またなぜ不必要なのか

 

「序論」

※本記事は悩める高校生を対象に書いています。

初めに、この記事で何を伝えたいのかについて説明しようと思う。

 高校では約10以上もの科目が必履修となっており学年や学校にもよるが、この数ではどの科目も身に着ける、自身の役に立てることは不可能である。

そして10科目も必履修にする必要性も感じられないと思っている。

はっきり言って無駄だ。

 

ここまで何故思うのか不思議に思う方もいるだろう、そこでなぜ無駄なのか、本当に必要なのは何かについて語ろうと思う。

 

「本論」

"無駄な教科"、それはずばり世界史A,B、地理歴史、公民、芸術(音楽)、家庭である。

この中でも高校生活の時間を奪っていく不必要な教科は家庭だ。 まだ生活技術を学ぶのであれば理解できるし学ぼうとも思うが、子供の発達、高齢者の発達云々絶対不必要であると言い切れる。

こんなものに時間を回す必要性は皆無だろう。

 

さて話を他の教科に移す。

世界史、地理歴史、これらの教科は"教養" として学ぶ必要があるという意見を耳にしたことがある。

それについてはかの有名な "ビスマルク"  はこう語っている。

Ihr seid alle Idioten zu glauben, aus Eurer Erfahrung etwas lernen zu können, (諸君は自らの経験からいくらか学ぶことができるという,全く愚かな考えであろうが,)

 

ich ziehe es vor, aus den Fehlern anderer zu lernen, um eigene Fehler zu vermeiden.(余はむしろ他人の失敗を学ぶことで,自分の失敗を回避することを好む

 引用元 

誤解されている「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 - Togetter

 

 この言葉を知り、"教養"  として学ぶ必要があるという言葉に少し違和感を抱いている。

学校で行われている  "歴史"  の学び方は詰め込み型であり本来の在り方を見失っているのではないだろうか?

そうであれば学校における歴史教育に意味はないと言えるし教養にすらならないのではないだろうか。

 

このことから世界史を学校で教養にするのは出来ないし時間の無駄だ、それに現代はインターネット、漫画etc... 学校教育じゃなくても世界史を教養にすることは可能である。

そのため学校教育の世界史は意味ををなしていない、自己の判断材料にはなりえない。

 

最後に、芸術科目は完全選択制で良いだろう。筆者は絵が好きだし美術も好きだ、だが短い3年間、膨大な科目数をこなす中でこの科目を必須にする必要はない。

 「結論」

序論にて上げた全科目は短い高校生活で学ばされる義理はない。なぜならそれらの科目を"学校"で学んでも教養にはなりえないからである。

 

終わり。